2010年09月10日

社会福祉の固有性

一人の女子大生がいたとする。

彼女は、この夏、大学のサークルでキャンプに行った。
そこで事件は起こる。

小さな池に入ってはしゃぐ友人を見ていた時、
先輩に後ろから押され、自分も池に入ることになる。
しかし、ポケットには携帯電話が・・・。

携帯電話は、使えなくなりデータも消失してしまう。
先輩は、謝りながら「弁償する」と。

ここから、携帯電話再調達プロジェクトが始まる。

この際D社からa社かS社に変え、新規購入とした方が安くつくのか?
D社のまま、二台持ちにして、新規購入とした方が安いのか?
ポイントを使って機種変更した方が有利なのか?
先輩は、損害賠償保険に入っていないのか?
等など、検討が始まる。
大切な検討である。

しかし、違う角度からの検討もある。

先輩に押されたことを彼女はどのように考えているのか?
もし、弁償してもらうと気まずくならないのか?
決して安くはない携帯電話を(親に)再調達してもらうことについて、
彼女はどういう気持ちなのか?
それらは総合的に、新しい携帯電話の価格帯に影響するのか?

差し詰め、前者が「制度論」、後者は「対象者論(技術論)」であろう。

問題を解決するためには、両方が必要である。
が、どちらから考えていくのか、によって専門性が変わってくる。
前者は、携帯電話のショップの方が明るい。
後者は、友人や親はアプローチできるが、ショップでは関心が無いはずである。

社会福祉の固有性は、後者にある。
制度論だけであれば、勉強した政治家でもできる。
過日のブログに、専門性の軸のひとつに「固有性」があると書いた。
http://toyoro.seesaa.net/article/161930367.html
もし、「そのココロは?」と尋ねらるのであれば、この点を述べることになろう。


【参考】「社会福祉原論」.岡村重夫


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posted by となりのトヨロ at 10:57| Comment(2) | TrackBack(0) | 社会福祉原論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月14日

ケアマネジメントとの共通項


今日は、社会福祉原論をゆ〜っくり読む勉強会の日です。
(大雨ですが、本当にあるのでしょうか?)

少しだけ予習をしておきましょう。
(参加される方は、「今日の肝」ですから、心の準備を!)

前回から、「社会関係の二重構造」に入っていましたね。

○ 専門分業化された制度は、自分の専門に属さない他の制度が個人に何を要求し、どんな役割期待をするかについて認識し、理解する能力をもたない。

○ 個人は、多くの制度から異質的な役割を要求されながらも、それらを矛盾のないものとして両立させながら、1つの制度からの役割期待にこたえることができる。

○ 個人のもつ社会関係は、社会制度によって客観的に規定されるようにみえるが、その全体的関連とその関連を選択するメカニズムに着目するならば、それは、けっして単純な構造ではなく、客観的に規定される側面と主観的に規定される側面とがからみあった二重構造のものである。

○ 特定制度の側から規定される側面であるから、社会関係の「制度的側面」

○ 生活条件を客体的に規定するので、社会関係の「客体的側面」

○ 「客体的側面」は、「個人的側面」、「主体的側面」

○ 生活のもつ主体的意味は、専門分業的視野に限局された社会制度ではとらえることのできない部面である。

○ 専門分業化された各種の「政策」は、たしかに個人の生活に対して一定の影響を与えることは事実であるとしても、それは自分の専門とする部分についての影響を判定しうるだけであって、それ以外の生活の側面に対して与える影響や意味を判定することはできない。

○ それは、主体的側面の立場にたたなければ判らない。

このあたりまでで、90分が過ぎるのではないでしょうか。

このように書いてみると、

役割期待(アンビバレントの底流か?)
主観的・客観的
全体的関連
からみあった
主体的側面


等のキーワードが、ますますケアマネジメントとの共通項に見えてきますね。
posted by となりのトヨロ at 09:43| Comment(2) | TrackBack(0) | 社会福祉原論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月10日

間違うことを恐れるよりも・・・

「社会福祉原論」岡村重夫著(全国社会福祉協議会)をテキストとして毎月行っている社会福祉原論勉強会が、いよいよ佳境に入ってきた。

社会関係は、「客体的側面(制度的側面)」と「主体的側面(個人的側面)」の二重構造である、というくだりは何度読んでも鳥肌が立つ。

この勉強会では、大切な箇所や分かりにくい箇所について、参加メンバーに解釈を求めることにしている。

解釈といっても、ごくごく身近な例を引いて語ってもらうという感じである。「ナスビが畑にあって・・・」とか「我が家の経済状況は・・・」といった生活感あふれるたとえ話に笑いがおこる。

「福祉とは、コレコレシガジカである」と自分の言葉で語ることができる福祉職を一人でも多く増やしてゆきたいと強く思う。

語って間違ってしまうことを恐れる必要は無い。人の意見は皆違うものだ。
それよりも語ろうとしないことを恐れたほうがいい。
考えようとしないことを恐れるべきだ。

他人の語りに耳を傾け、自分の考えとすり合せる。すり合わせて腑に落ちない部分を自分の言葉で語り戻す。そのようにしてしか福祉観を練ることはできないとさえ思う。
posted by となりのトヨロ at 09:42| Comment(6) | TrackBack(0) | 社会福祉原論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月12日

機織る

手あかのついた本。岡村重夫著「社会福祉原論」。何度読んでも新しい発見がある。多分、一生読み続けるのだろうと思う。

今日は、月に一度の「原論勉強会」。

集まったメンバーは、難解な文章に挑む。この「難解さ」がいい。
皆、理解しようと、自分の経験・自分の生活などに重ね、置き換え、自分のコトバで言い換える。そして、それを持ち寄り擦り合わせ修正する。

理論を縦糸に、経験を横糸に、何かを・誰かを優しく包む込む布が完成するまで、この機織りの営みは続く。こうして、「原論」つまり「哲学」を機織るのである。

このような営みこそが、専門職に求められる学びだと思う。

そして、布がほころびた時は、またここに持ち込めばいい。

なかなか前に進まず、4行進めばいい、というとこらから、別名「4行ずつの勉強会」。
今夜も、ゆっくりしっかり機織りましょう!
posted by となりのトヨロ at 13:37| Comment(0) | 社会福祉原論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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