2010年06月08日

宮城県版アセスメントシートに拍手!

「月刊 ケアマネジメント 6月号」に、「宮城県版アセスメントシート」の特集記事が掲載されていた。

とてもいいシートだと思う。

このシートの最も評価されるべき点は、「課題検討用紙」の存在である。

アセスメントは、「情報収集」、「分析」 という二つのステップで構成される。 ところが、「情報収集」のステップで得られた情報を、コンピュータに入力して「分析」のステップをコンピュータに肩代わりしてもらっている介護支援専門員が多いのではないだろうか。

コンピュータというものは、使う者からすれば出力さえしてくれれば、その過程は二の次でよい、と思わせる装置である。つまり、介護支援専門員は、「分析」の過程より、出力される「利用者のニーズ(案)」に関心が強く偏るのである。

仮に、コンピュータから出力された(案)に修正を加えたとしても、「分析」という作業の大部分を機械に依存し、その過程から介護支援専門員は遠ざけられた状態なのである。(白澤政和先生は、ブラックボックスと表現しておられる)

その点、この「宮城県版アセスメントシート」の「課題検討用紙」は、この「分析」ステップを手作業で行うことにより、介護支援専門員は自らの思考過程と向き合うことが可能になる。
また、その過程が文字として残されるため可視性が高く、事例検討や適正化事業などにも使えるのである。

とても優れたものだと思う。

エールを送り、今後の更なる改善を期するという意味で、敢えて4点の投げかけをしてみたい。

1)「分析」ステップというものは、「全体関連性を検討する」ということである。表形式のものは、この全体関連性を表現することに限界があり、その点をどのように工夫するか?

2)「課題検討用紙」の内容は、第二表他に転記することになるが、その点で介護支援専門員の負担感は無いのか?

3)自立支援の観点からも、ケアマネジメントプロセスのすべてに、利用者・家族が参画できるようにすべきである。「課題検討用紙」は、これまでブラックボックスに入っていた過程を取り出したことになるが、この用紙が参画する利用者・家族の目にどのように映るか?やや難解ではないか?

4)主観的事実(利用者の想い、価値観、感情等)を扱うフレームと、他の情報とのフレームが、全体関連性を検討するという構えでは無く、「一致」という処理をするだけになっているが、今ひとつ深める必要があるのではないか?

拙著「アローチャートでケアマネジメント!」をお持ちの方は、p30,pp34-35,pp102-105をご参照ください。
posted by となりのトヨロ at 11:04| Comment(4) | TrackBack(0) | アセスメント・ニーズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月03日

主観的世界の深みに(6)

クライアントの主観的世界を整理するための思考過程は、概ね次の通りである。

1)クライアントの「アンビバレント」の発見を目指す。
※アンビバレントを発見するために2)〜5)を行う。

2)クライアントの会話を大きく「what」と「how」に分類する。
※whatは、何を語ったのかであり、howは、それをいかに語ったかということである。

3)「仮説の根拠(証拠)」を整理する。
※仮説の根拠は、3種類ある。〔what、how、客観的事実〕

4)「前提」を整理する。
※前提は、仮説の根拠(証拠)と相俟って仮説の形成をするものであるが、仮説は前提を説明しない。
※前提は、3種類ある。〔クライアントのメソッド(註1)、社会規範(暗黙のものも含む)、客観的事実〕

5)価値観Aについては、2)〜4)を因果関係において整理することにより導き出す。価値観Aと対峙しアンビバレントを形成する価値観Bは、2)〜4)の矛盾点を探すことにより導き出す(註2)。

6)アンビバレントをアローチャートで可視化し、検証できる形にする。

7)現場においては、2)のステップでの対話的構築を意識しておく。

現在までの整理は、ここまでです。
今後は、2)〜5)の流れを事例検討で検証していきます。
また、(註1)は、未整理の部分が多く深めていく予定です。(註2)は、これに加えて別のルートがありそうですので今後整理していきます。

いずれにしろ、2)〜5)は、スーパーバイザークラスの研修でお伝えしていこうと考えています。

次なる宿題が待っています(「ケアマネジメントが成立する条件をその歴史から概観する(仮)」を書くとツイッターで約束してしまった)ので、このシリーズはこれをもって「長いお休み」に入ります。が、加筆すべきものがあれば「号外」で掲載します。

引用・参考文献
岡村重夫:「社会福祉原論」.全社協
米盛裕二:「アブダクション」.勁草書房
加藤諦三:「「不機嫌」と「甘え」の構造」.PHP文庫
前田泰樹他:「エスノメソドロジー」.新曜社
小沢勲:「痴呆を生きるということ」.岩波新書
野矢茂樹:「論理トレーニング」.産業図書
桜井厚他:「ライフストーリー・インタビュー」.せりか書房
狭間香代子:「社会福祉の援助観」.筒井書房
澤登俊雄:「現代社会とパターナリズム」.ゆみる出版
岩間伸之:「対人援助のための相談面接技術」.中央法規
アレク・フィッシャー(岩崎豪人他訳)「クリティカル・シンキング入門」.ナカニシヤ出版
山田富秋他:「排除と差別のエスノメソドロジー」.新曜社
posted by となりのトヨロ at 11:14| Comment(0) | TrackBack(0) | アセスメント・ニーズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月25日

主観的世界の深みに(5)

 私の事例検討会は、おおよそ次のように進めてい行く。

1)事例提供者から事例の紹介
2)事実確認のための質疑応答(情報収集)
3)収集した情報の分析(アローチャートを描く)
4)クロージング
5)事例提供者による総括
 
 この流れの中で、3)〜5)は、いわば「可視化」の作業でもある。
そして、「可視化」が不完全だったのが4)のステップであり、以前にも書いた職人芸が混入している部分である。

 このステップでは、客観的事実と主観的事実を整理しつつ、事例提供者に持ち帰っていただく仮説と視点や思考方法(場合によっては具体的な対策)を示す必要がある。
 
 そうした中で、主観的事実は客観的事実に比べ、「なぜその言葉でまとめたのか」、「どのようにその言葉にたどり着いたのか」を説明しにくい。なぜなら、「閃き」に由るところが大きいからである。この点が職人芸と言われても仕方が無い点なのである。

 しかし、「閃き」は非科学的であり仮説形成という行為から排除しなければならないということではない。多くの発明や発見が「閃き」によりもたらされているのことを考えただけでも排除という選択肢は捨てなければならない。

 では、エビデンスを示しにくい主観的事実の仮説を形成する際に、どのようにすれば科学的であることを担保できるのか。職人芸と言われなくてすむのか。

 それは、その仮説を検証できる形で示すことであろう。別の言い方をすれば、「仮説が自己修正機能を内在している」ということであると考える。

この点に留意しながら、現在「閃くための視点」を整理している。

(つづく)
posted by となりのトヨロ at 14:43| Comment(0) | TrackBack(0) | アセスメント・ニーズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月22日

「曖昧さ」は大切である

ファジィネス(曖昧さ)を排除していく態度は、科学的な態度かもしれないのだが・・・。

現在読んでいる(持ち歩いているだけ?)本※に興味深い行があるので引用する。

「世界と人間のファジィネスを誰よりよく知っているはずの哲学者たちがファジィネスの本質を問おうとせず、逆に確実性と明証性を理念とし探求してきたのに対し、一方、精密科学者であるコンピュータ・サイエンティストたちには世界と人間のファジィネスがよくみえて、ファジィネスの本質を追求している。」

ロボットやコンピュータなどを手がける人々は、それらの機能をより人間に近づけるために、人間の生活に欠かせない曖昧さに関心を寄せる。たぶん、そういう意味合いなのであろう。

引用文の中の、「哲学者」を「介護支援専門員」や「教育者」に置き換えてみると面白い。
(あえて、解釈することは避ける)

少し話を飛び火させてみるが、「〜あるべきだ」だけを主張する面々との会議や打ち合わせは疲れる。
「少し様子をみよう」、「少しずつ進めよう」、「この部分は保留にしよう」という曖昧さも欲しい。「生活」とはそんなに理想どおりに運ぶものではない。そう言えば、最近「日本人は、家の内と外の間に、縁という曖昧さを作って・・・」というテレビコマーシャルも目にする。曖昧さは、ひょっとすると日本人の特性なのかもしれないが、いずれにしろ、曖昧さを認識したり、読み取ったり、解釈したりする能力は、「生活」するための重要な要素のひとつであろう。

疲れきった後に、なぜか、先人の言った「水清ければ魚棲まず」を思い出した。

※「アブダクション」米盛裕二 著.勁草書房
posted by となりのトヨロ at 13:02| Comment(2) | TrackBack(0) | アセスメント・ニーズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月20日

主観的世界の深みに(4)

パターナリズムについては、クライアントの主観的世界の深みを理解するための「直接的な視点」ということではなく、対話的構築主義を補完するものとして捉えることにする。
つまり、クライアントの価値観を対話という協働作業によって紡いでゆく際、支援する側が十二分に心得ておかなければならない「カラクリ」なのである。

パターナリズムは、「支配の形態」のひとつであり、次の条件をすべて満たした場合に成立をみるとされる。その条件を列挙する。
1.権力を行使する者(「者」は、個人や集団。以下同じ)とされる者の間に、「保護の関係」が生じる場合。
2.保護する者が、される者にとって必要度の高い「財」の環境を、ほぼ一方的に操作することができる場合。
3.保護する者とされる者との関係が、社会的に分節されている場合。

この条件を、ケアマネジメントに当てはめながら補足してみることにする。

1. 契約制度である介護保険制度では、無いことになっている。つまり、介護保険制度が健全に運用され続ける限り、「保護の関係」は、生じないことになる。「保護の関係」については、後で補足する。
2. 「財」の中には「情報」も含まれる。クライアントと介護支援専門員の間に成立する。
3. 社会的な分節は、意味づけによって成立する。つまり、「あたたは、患者さま」など。 ケアマネジメントを必要とするクライアントは、「要支援者」「要介護者」と社会的に意味づけされるため、この条件も成立する。

このように眺めると、2.と3.の条件は成立するが、1.の条件に関しては生じないことになっているため、介護保険制度においてはパターナリズムは存在しえない、と言えそうである。

しかし、私の調査(2005)によれば、2.の条件である、介護支援専門員の「情報」提供の匙加減が、「保護の関係」をもたらすという現実があることが分かった。つまり、2.が1.に影響をもたらすということである。

極端な例を挙げると分かりやすい。
介護支援専門員が、「私どものサービスは、日本で一番です!」という嘘※の情報提供をクライアントにした場合、二者の関係は「保護の関係」に近づくのである。そして、そこにはパターナリズム成立の条件が整い、「支配」が生まれるのである。
(※ 嘘か否か確かめる方法は、簡単である。では、二番目のサービスはどこですか?と尋ねてみるとよい。二番目を知らなかった場合、一番と確定させることはできないため、嘘と言える。)

クライアントは、支配される危うさに晒されているのである。
ここからも、対話的構築の必要性を論じることができる。

話を元に戻さなければならない。
主観的世界の深みを理解するためには、自己修正あるいは、反証可能性の構えをとる必要がある。

(つづく)

参考文献等は、最後にまとめて掲載します。
posted by となりのトヨロ at 11:40| Comment(0) | アセスメント・ニーズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月14日

主観的世界の深みに(3)

さて、「ラ・ポール」。

この信頼関係をいう訳を与えられた「ラ・ポール」には、「情報収集するための」という枕詞がつくとのこと。これは、定説であるらしい。

このことを知った時、私の違和感の理由が分かったような気がした。

「情報収集」とは、支援する側の行為である。支援する側の都合で行っている行為なのである。

つまり、クライアントからしてみれば、外側から働きかけを受ける行為なのである。どんなに優しく慇懃に働きかけられても、自身の内から生じた営みではないのである。

対等を前提とした契約制度、利用者主体を理念に掲げる介護保険制度であるが、誤解を恐れずに言うと、「情報収集」のステップでは(瞬間的ではあろうが)、「対等」や「利用者主体」は脆くなる危険性を孕んでいるのである。
刺激的な表現になるが、「主と従」あるいは「支配と被支配」という関係が生じる危険性である。

ところが、先に述べた、「収集する情報」は客観的事実のみであり、主観的事実は「一緒に作るもの」と言う点で救いを見出すことができる。
つまり、主観的事実に触れようとする専門職は、「一緒に作る」という営みによって、「主と従」や「支配と被支配」側に振れた振り子を「対等」や「利用者主体」側に戻すことができるのである。
逆接的に言うと、主観的事実に触れようとしない専門職は、クライアントを支配し続ける危険性があるということにもなる。

さて、ここで、二つ目のキーワードに触れなければならない。
それは、「パターナリズム」である。

(つづく)

※参考文献等は、最後にまとめて掲載します。
posted by となりのトヨロ at 11:03| Comment(8) | アセスメント・ニーズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月11日

主観的世界の深みに(2)

相手の価値観を理解する方法なんて、そうそう簡単に手に入るものではない...という前提に立つ。

しかし、なんとかして近づきたいと思うのが専門職である。

(これは、自分自身がクライアントになった時に、「この想い、分かってくれよ」だとか、「あ!自分はこんな想いでいたんだ」などと、専門職に求めてみたり、専門職に気づかせてもらったり・・・。
そんな場面を想定しながら考えると分かりやすいかもしれない。)

様々な知見がある中で、現場の感覚に近いもの、現場で起きていることを説明しやすいもの・・・そう考えて辿り着いたのが「対話的構築主義」である。

簡単に言うと、「人は、コミュニケーションをとろうとした時、あるいはとった時に価値観を作る」というものである。

言い換えれば、価値観というモノが歴然とした形で存在しているのではなく、その時・その場でコミュニケーションをとることによって、刻々と作られていくということである。

コミュニケーションであるから、「双方向」「相互的」なものである。(独り言では、ダメということです)
つまり、専門職がクライアントに向き合ってコミュニケーションをとる時、その専門職はクライアントの価値観を作る手伝いをすることになる。(問いかけ方で相手の価値観は変わりますよね)

そのように考えると、アセスメントの際の「情報収集」は、「客観的事実」に限られることになる。「主観的事実」は、集めるものではなく一緒に作るものなのである。

話は変わるが、以前から「ラ・ポール」という言葉に違和感を感じていた。理由はよく分からなかった。 (単にフランス語だからかもしれませんが) 現場にいる時から、ストンと落ちなかった。 援助・支援の前提として職業的に構築する暖かい信頼関係。絶対必要だ。だけど、自分のコトバで説明できなかった。

しかし、対話的構築主義から「ラ・ポール」を説明すると、自分自身の違和感の発生源が分かった。

(つづく)
posted by となりのトヨロ at 19:49| Comment(2) | アセスメント・ニーズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月10日

主観的世界の深みに(1)

介護支援専門員が行うアセスメント(課題分析)は、数ある分析方法の中の「原因分析」と言われるものの要素を多く含む。

アセスメントでは、収集した情報(客観的事実と主観的事実)の円環的因果関係を検討するものであるが、この検討過程を可視化しよというものがアローチャートである。

拙著「アローチャートでケアマネジメント!」は、その方法を分かりやすく書いた(つもりの)ものである。

現在考えているのは、「この姉妹編を書く必要がありそうだ」ということである。

研修会で、私はアローチャートを描く。多くの場合、それによって受講される方は新しい視点や思考過程を獲得する。 これが私の演習のスタイルなのであるが、私は、どういう思考過程でそのアローチャートを描いたのかという部分を可視化していなかった。特に、研修の高評価につながっている主観的事実の分析(仮説形成)は私自身が排除していきたい「職人芸」だったのである。それは、必要性を感じながらも整理できていなかったというのが正直なところなのである。

ところが、専門研修を受講した介護支援専門員を対象にした「フォローアップ研修」の機会を島根県社会福祉協議会からいただいたことを契機に、未整理部分も可視化する必要に迫られた。

さて、どうしたものか? と彷徨うこと7ヶ月。ようやく、光が見えてきた。 

刻々と変化する人間の価値観を、介護支援専門員が「その場」で感じ取り、仮説を立てるためには、どのような思考プロセスをとればよいのか。もともと研究者ではなく、現場の人間である。初心に戻って、現場の感覚で社会学・論理学の知見を中心に整理をしてみた。今後は、事例検討会で検証を重ねていくのであるが、自分がフレームを見失わないために、少しずつブログに残して行きたい。

まず、中心に置くのは、「対話的構築主義」である。

(つづく)    






posted by となりのトヨロ at 10:55| Comment(0) | アセスメント・ニーズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。