2011年07月23日

12時間モノ

前回、使う言語(例えば、日本語)の影響について書いた。
→ http://toyoro.seesaa.net/article/215734018.html

もう少し、日常に近づけて考えてみたい。

いつから日本語を使い始めたか? そんなことは憶えていない。
親が、口伝えでコトバを教え始めてからこれまで、
どのくらいのコトバを覚えたのだろう。

昔から知っているコトバも、どこかで誰かに(書物も含めて)
教わったものである。
にもかかわらず、自分が考えたコトバのように使ってしまう。
まぁ、教えた人が所有権を主張するなんて(日常語に関しては)
考えにくいので、自分の考えたコトバのように使っても悪くはない。

しかし、落とし穴があることだけは知っておく必要がある。

慣用句やよく使う言い回しは、その本来の意味をなるべく正確に知り、
その上で文脈づくりをしていかなければならない。

うろ覚えのまま、「えいっ!」と使ってしまうと、
的外れではないにしても、文脈が乱れ、ボンヤリしてしまう。

それは、使うコトバの近くに漂う、「概ねそうだろう」とか、
「凡そこれだろう」といった意味合いをも混入させることになる。
「当らずと雖も、遠からず」が紛れ込み、堆積し、
それらで構成された「なんとなくそれっぽい」文脈ができあがるのである。

「それっぽい」から、指摘や批判は受けにくい。


なぜコトバの近くには、そのような有象無象が漂ってしまうのか。
それは、コトバが常に「生活」と共に在り、「生活」の多様性に影響され、
多義的に使われることになるからだろう。
そして、徐々にその多義性は定着し、守備範囲の広いコトバになっていく。


誰しも、「言った(つもり)」vs「聞いていない」というトラブルの
経験があろう。そのような実害を生むこともある。


専門職が使う専門用語もコトバである以上、
もちろん同じような性質を持つ。
「アセスメント」、「ニーズ」などという誰でも知っているコトバが、
よく分からないコトバに変質していまう。

専門職の場合、特に仕事の根幹にかかわるコトバが、
よくわからないコトバになってしまうと、
アイデンティティが揺らいでしまう。
「自分は専門家なのだ!」という自己評価が、
(良し悪しは別として)専門職を元気にする。

大切なコトバが、よく分からないコトバに変質し、
からだに纏わりつき始めると、精神力を奪われてしまう。

時々、流れに逆らってみたり、歩を止めてみたりしながら、
自分のコトバを吟味していきたい。


論文の指導をしてくださった恩師は、
「うん、いいでしょう。これで暫く寝かせてみましょう!」
とよくおっしゃっていた。

もちろん、文章やコトバは、寝かせただけでワインのように
上質なものになっていくはずはない。

寝かせている間に、書き手の見方や意識が変化し、
文脈の揺らぎなどに気付くのである。

ちなみに、この文章は半日ほど寝かせた「12時間モノ」である。

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posted by となりのトヨロ at 11:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 言葉の吟味から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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