2011年07月20日

人間に主体性はない?

今まで、やったことはないのであるが、
どうにもこうにも考えが纏まらないので、思い切って文章にし、ブログにアップしてみる。

お題は「人間の主体性」である。


人間は、自分のことを自分で決める。

また、相談援助職は、どんな状況下にあってもそれができると信じ、支援にあたる。
いわゆる「自己決定」であるが、バイスティックの原則を学ぶ時に叩き込まれる。

そして、「自己決定」と同時に扱われるのが「主体性」である。
人間の主体性が自己決定の背景にあり、「自己決定」できることが「主体的である」ということにもなる。

介護支援専門員実務研修テキスト(四訂)では、介護保険法第二条の解説に、制度の基本理念のひとつとして「自立支援」があることを取り上げ、
「主体的な決定」「主体性の尊重」等として、「主体性」が「自立支援」と不可分であることを強調している。

これまで疑ったことがなかったこの「主体性」なのであるが、ここにきて困ったことが生じた。
それは、「人間には主体性がない」というものの考え方に出会ったからである。

レヴィ・ストロースという人は、社会や言語の深層構造が人間を規定するという見方を示し、
ミッシェル・フーコーという人は、各時代のものの見方の枠が人間を規定するという。
「主体性」は幻想とさえいう。

つまり、「主体性」なる確固たるものが存在していて、それが「自己決定」をさせるのではなく、
社会や母国語や時代の見方が決めさせているというものである。

日本語で思索し、日本語で覚悟を決め、日本語で意思を伝える限りにおいて、
日本語の深層にある構造の影響から逃れることはできないということらしい。

ここらあたりまでは、しぶしぶ了解してみるが、困るのはその後である。

このものの見方を、どのように現場に溶かし込んでいくかということである。

僕は、「自分の言葉で語ろう」と言いながら行脚している。
また、自分もそうしてきたつもりである。 
この見方を現場に届けるためには、「自分の言葉」が必要になる。が、今のところ見つかっていない。
理解が浅いということもあろうが、言葉探しを始めなければならない。

冒頭で述べたが、自分の考えを纏めるためのブログなので、読んでくださる方には申し訳ないと思っている。
言葉が見つかれば、またこのブログで語ってみたい。

__.JPG
posted by となりのトヨロ at 11:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 言葉の吟味から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。