2014年11月26日

学びの扉の鍵穴

「現場が一番分かっている」
「現場は大変なんだ」

これらの言説はもっともだと思う。
おそらく異論を唱える人はいないだろう。


連綿と続く生活に「言葉」という楔を打ち込み、人は言説を切り出す。
切り出すのだから切り口がある。
その切り口から、別の言説が生まれる。言外の言である。

「僕は合格しました」
この言説は、文字通りの意味に加えて
例えば、「不合格の人もいるのです」という別の言説を
(意図する/しないに関わらず)生み出すのである。

しかし、他者は文脈から最も妥当な解釈を選択してくれる。
だから無用な諍いは最小限で済む。
人間のファジーを読み取る力はありがたいものだ。

ところで、先に述べた言説にはどのような言外の言があるのだろうか。
おそらく
「現場以外の者は分かっていない」
「現場以外の者は大変ではない」
といったものだろうが、通常これらも表面化しない。

しかし、新制度や新しい方法が示された時、これらを唯一の根拠として反対する場合、不幸が生まれる。

どのような不幸か...それはこうだ。

これらの言説だけを根拠として(あるいは強調しすぎて)、新しくやってくる物事に反対するためには、その根拠―「現場が一番、かつ大変」を確固たるものにするしかない。

つまり、全力で現場を大変なものにしていくしかないのである。
全身全霊を傾けて学ばないでいるしかないのである(だって現場が一番分かっているのだから学ぶ必用はない)。

現場はこうして疲弊していくのである。
かつての私がそうだったように。

現場も根拠ある反論(反証)をするための学びが必要である。
学びの扉の鍵穴は、外側にはついていないのだ。

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posted by となりのトヨロ at 19:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 随感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする